善悪では判断できないinsiteという施設について

こんにちは!TAKAです!最近は私が10代の頃に考えていたことについて深掘りして書いていましたが、今回はそれとは関係なく、私が大学時代に出会った日本では考えられない衝撃的な施設について紹介したいと思います。ここで読んでくださっているみなさんもこのことについて知って、一度深く考えていただきたいトピックとなっています。では本題に入りましょう。

薬が合法的に打てるバンクーバーにある施設insite

f:id:TikitakaTaka:20210825140920j:plain

私が通っていた大学の地理学の授業では「貧富の構造」という内容の授業を扱っていました。その際には、薬物中毒者について触れたりしたのですが、ちょうど授業の一環で中毒者のいるようなエリアに足を運ぶフィールドトリップがあったんです。その時に先生から教えてもらった施設がinsiteというこの緑色の建物でした。この施設は政府が管理していて、薬物中毒者は建物内で合法的に薬物を打てるというものなんです。衝撃的すぎませんか?みなさんならそんなことに賛成するわけがありませんよね?

なぜこんな施設があるのか?

f:id:TikitakaTaka:20210825142938j:plain

「なんでそんなことするの?おかしいでしょ。。。」と思っていると思います。それにはちゃんとしたわけがあるんです。

・注射針の使い回しによる感染症、病気の広がりを防ぐため

・犯罪率を抑えるため

・社会復帰を手助けするため

こういうことなんです。
犯罪率についてみなさん引っかかっているかもしれませんね。
実は、薬物中毒者からいきなり薬物を取り上げると犯罪をするという確率が非常に高くになるというデータが実際にあるんです。一般的な人がその被害になるくらいなら、定期的に薬物を与えて犯罪行動をしないように制御する方が社会のためだというのが政府の考え方なのです。そして3つ目の社会復帰させるためというものですが、日本だと薬物を一度やってしまうと社会復帰することがほとんど不可能になってしまいますよね。ですが、カナダ政府には人間は過ちを犯すものだという考え方があり、過ちを犯した過去があったとしても社会復帰を望むものであればそれを支援するという感じなんです。

薬物をやめさせるということはもちろん理想なのですが、やめさせることによって他にネガティブ要素が発生する場合、二つを天秤にかける必要があります。このような天秤にかける必要がある事って社会の中には無数にありますよね?
善悪でしか判断しないというのはとても簡単なことですが、いかに根本的な所に目を向けられるのか、改善策を考えていけるのかというところにフォーカスできると社会はより良くなっていくのかなと個人的には思っています。今回のこのトピックからみなさんが社会について一つでも何か考えるきっかけになれば良いなと考えています!!ではでは〜また〜!


 

 

 

②本質的なものの価値とは?

こんにちは!TAKAです!前回は「 16、17歳の私が考えていたこと」の①について話しましたが、今回はその②についてより詳しく書いていきたいと思います。

「本質的なものの価値とは?」という問いは⑩まである今回の中でも一番に近いくらい重要な問いだと思います。皆さんは考えたことありますか?物事を遂行する時、判断する時になんとなく判断していませんか?何が目的なのかちゃんと考えられた上で判断するのと、考えられていない状態で判断するのでは雲泥の差があります。高校生であれば、「なぜ大学に行く必要があるのか?」という問いを考える必要があると思います。コミュニティーを広げたい、自分の好きな研究をしたいなど理由はいろいろあると思います。行くことによって何が得られるのかというのがとても大事になり、300〜700万程度の投資をし、時間をかけて通う価値があれば行くのがいいと思いますし、そうでなければ行かないという選択が正しいと思います。人生の選択は無数にあります。特に周りと違いを作りたい人であれば、周りとは違う選択を取るべきなのは明らかだと思います。本質的な価値をしっかり考え、どのように動けば価値が生み出せるのか考えることが10代では大事だなと個人的には思います。

①仮に両親が明日死んだとしたら自分はどうなるのだろうか?

こんにちは!TAKAです!前回は「 16、17歳の私が考えていたこと」について10個紹介しました。今回はその①についてより詳しく書いていきたいと思います。

本来義務教育は中学生まですが、今の時代は多くの子が高校に進学するので、高校までが義務教育みたいな感じになっていると思います。自分自身の高校時代のことを振り返ると、16歳のとき、すでに多くのクラスメイトは大学受験をして進学することをイメージしていました。そんな中自分が感じていたのは、「もし仮に明日両親が死んだとしたら自分はどのような状況になって、どのような選択をしていくのか?両親の死という状況に出会った時に自分はどうなっていれば自信を持って一人で生きてけるのか?」ということを考えていました。その答えは「自分で生きていくためのコミュニケーション能力も技術も知識もない、、、」というものでした。そんな自問自答からたどり着いたのが「どのような生活を若いうちにすればその自信を培うことができるのだろうか?」という新しい自問自答でした。

その中ででた解決策は、

・自己主張の強い環境でもまれる

・親元を離れ1人で暮らす

・20代前半までは困難に直面するような環境に身を置き、失敗に慣れる

・思ったことは全て行動してみる

というものでした。

18歳〜25歳までこの解決策のような環境に身を置き続けました。こんな大変な生活を毎日実践した先で結果的にどうなったかというと、「大抵のことは経験したことあるわ!」って思えるような自信を身につけた25歳になっていました。

私は若い10代の子にはもっと様々なことを考えてほしいと思います。今の生活が普通だと思って欲しくないです。特に高校生で親がそばにいてくれていて、幸せな生活をしている人には特に一回考えてみてほしいと思います、、、そんな生活は明日失われるようなことだってあり得るということを。18歳で社会に投げ出されたとしても社会は価値のない人間には冷たいというこの事実を若い子はもっと知るべきだと思います。でも絶望しないでほしいです。若ければ今からいくらだって巻き返せます!25歳の青年になるまでは自信をつけるためにたくさん挑戦してほしいと思います!

16、17歳の私が考えていたこと

こんにちは!TAKAです。時々ですが10代の子に接することがあり、そういう時にふと自分は10代の時どうだったんだろう〜?と考えることがあり今回の内容を書こうと思いました。

 

私が16、17歳のときふと将来を考えるようになりました。このままみんなと同じようにレールに乗る人生で本当に満足できるのかどうか。そんなことを考えているとたどり着いたのが、18歳から25歳の間に人生の中で最も濃い時間を過ごしたいというものでした。コンプレックスの克服、非現実的世界への挑戦、人生投資を当時望んでいました。その結果海外へと飛ぶことになるのですが、その前に様々な疑問が浮かび上がりました。それが以下のようなことでした。

①仮に両親が明日死んだとしたら自分はどうなるのだろうか?

②本質的なものの価値とは?

③25歳でどうなっていたいのか?

④25歳の自分をイメージをした時に18〜25歳でやらなければいけないことは?

⑤5年後の社会はどうなっているのか?

⑥自分にとって大事な価値観とは?

⑦自分の得意なこと、苦手なこと、好きなこと、嫌いなことは?

⑧人生の中で最終的にやりたいことは?

⑨若いうちにしかできないこととは?

⑩高校卒業後進学するならなぜ進学するのか?

 

自分で言うのもあれですが、今思うと16歳とかが考えるようなレベルじゃない気がしますwwなんて合理的なんだとw

 

今回は考えたことの紹介で終わったしまいますが、次回からはこの1〜10までの内容について一つずつ書いていきたいと思います!!!

モンテッソーリ出身三人兄弟が与えられた自由

こんにちはTAKAです!久しぶりの投稿になっちゃいました。。。今回は僕の兄弟についても触れつつ教育に関することを書こうと思います!

早速本題に入りますが、結論から言っちゃうと、うちの家の教育方針は結果的に成功したと思っています。僕の家は三人兄弟で、全員幼少期にモンテッソーリ教育を受け、その後は全員公立の小中でのびのびと生活しました。高校は高校受験をし、全員が進学校に進学しました。とても活発な三人で、体育は常に最上級評価を受けるようなよくいる子供だったと思います。そんな共通点ばかりの兄弟でも性格はやっぱり違うんですよね。面白いものですw

一番上の姉はいわゆる正統派な優等生タイプ!
二番目の兄はめんどくさがり屋な秀才タイプ!
末っ子の自分は破天荒なキチガイタイプ!
なのです。だいぶ違いますよねw

こんな違いはあるけど一方ではやっぱり同じ環境で育ってきているので似てる部分が多いのが兄弟です。皆、知的好奇心が旺盛なんですよ。異常なほどに。。。例えばですけど、僕が中学生で、高校受験の勉強をしていた時には、一緒に同じ数学の問題を解き始めたり。机に置いておいた宿題用の問題が勝手に解かれていたりしましたw今思うと勝手にやるなよって思いますけどw今振り返ると、知的好奇心を持った三人が育ったのはやはり僕たちが受けてきたモンテッソーリ教育と親の家庭での教育のおかげだと思います。常に自己肯定できる環境を両親は作ってくれていたような気がしますし、両親は自分にも兄弟にも、「勉強しなさい」なんて一度も言いませんでした。きっと、やらなくて困るのは自分自身なんだということを自分で気づくように、知識をつけることが人生を豊かにするということに気づくようにと幼少期から意識して育ててくれたんだと思います。周りの友人の家と明らかに違ったことは、学校のテストを受けて学期末には成績が出ますが、進学のための三者面談以外で一度も成績を両親に見せたことはありませんでした。それは兄弟みんなそうでした。どんなに成績が良くても、そうでもなくても、見せたことはありませんし、要求をされたこともありません。子供に絶大な信頼をしていたから自由にさせてくれたのだと思います。自由を与えられた僕らは、自分らで選択をし、大学に進学し、自分らで力をつけ企業に入りました。兄と僕はエンジニアの道に、姉は海外でも活躍するビジネスパーソンになっています。
自由を与えることが一番の教育だということを皆さんにも知ってほしいと思います。お子さんがいる方は是非お子さんに自由を与えてみてください。結果的に自由が成功へと導くはずです。

 

 

モーニングルーティンで生活を豊かに

こんにちはTAKAです!!久しぶりの投稿になります。今回は私のモーニングルーティンを紹介したいと思います。私と変わらずみなさん日々仕事やら家事やれで忙しい日々を送っていると思います。特に家庭を持っている方は本当にとんでもないくらい忙しいと思います。そんな日々ですが、毎日ルーティンにすればそんなに大変でも無くなったりするものです。さっそく私の平日のスケジュールを紹介したいと思います。

4:45 起床

⬇️

〜5:00 軽い掃除

⬇️

〜6:15 犬とランニング

⬇️

〜6:40 シャワー・身支度

⬇️

6:45 家を出る

⬇️

7:30 オフィスのカフェに到着

⬇️

〜8:45 勉強

⬇️

8:50 出社

⬇️

18:00 業務終了

⬇️

19:00 帰宅

⬇️

〜20:00 開発
⬇️

〜21:00 ゆっくり夕飯・掃除

⬇️

〜21:30 ゆっくりお風呂
⬇️

〜23:00 開発
⬇️

23:15 就寝

ざっとこんな感じです!私のポイントは会社に行くまでの朝の充実です!朝だらだらしていると結局はギリギリの生活になってしまします。二度寝なんてしても眠気は解消された試しがありませんよね?わら。朝を充実させ、余裕を持って生活することで毎日周りに優しくなれたりするものですよ〜!今日からギリギリの生活はやめましょう^ ^朝余裕で電車1本見送れるような生活を心がけることがルーティンになると全く苦では無くなります!

 

 

 

 

〜高校卒業後に私が国外に逃げ出した理由〜

こんにちは〜TAKAです!もうすっかり冬で今年ももう少しで終わろうとしてますね〜なんだか早かったですね〜!高校3年生とかはきっと受験などがこれから本格的に始まって大変な時期ですね。。。そんなことをぼんやり考えていたら、ちょうどこのトピックが思いついたのでお話したいと思います!タイトル通り、私は高校卒業後に国外に逃げ出したんですよね。周りの友達が国内の大学に進学したりする中、1人だけ国外の大学に進学して、今は日本に帰ってきて仕事をしています。社会人になるとバックグラウンドとかを話すことがよくあり、国外にいたことなどを話すと、理由などをよく聞かれます。話すと長くなるという理由でいつも表面的な説明をして終わってしまっていて、本当の理由をのべる場がなかったので、今回はここで詳細に話していきたいと思います。

恵まれた環境にいることに気がついた

高校生の時に、初めて自分が恵まれた環境にいることに気がついて、もっと世界のことについて知りたいと思いました。頑張っているのにも関わらずチャンスがない世界中の子たちをいつかサポートしたいという気持ちがその時湧きました。

全て自分で考えるトレーニングをしたかった

高校生は大抵の子が親と同居しながら学校に通ってると思います。親は自分のためにいろいろ動いてくれたりするものですよね。私もそれはとてもありがたかったのですが、もっと自分で考えてやれることってある気がすると思っていました。国外に1人で行ったら自分でやるしかないという状況になれる気がしていました。

情報量を増やしたかった

日本に生まれて育つと、日本語だけの情報にどうしてもなってしまうことが多かったんですよね。外国語で情報が得ることができれば、もっと情報量が増えると考えました。情報化社会で情報を得ることがいかに大事か当時から自分でわかっていたと思います。

自己主張の強い環境で揉まれたかった

日本人はとてもみんな大人しくて接しやすかったイメージですが、一方で受動的だなと感じている自分がいました。自分も受動的な部分がコンプレックスだったんです。もっと自分を表現していいんじゃないかな?と学生時代思っていましたが、環境的に自分を変えるのがかなり厳しかったですね。コンプレックスで変わりたい部分だったので、自己主張の塊みたいな人たちに揉まれて変わっていきたかったんです。

コンピューターサイエンスを学びたかった

初めてコンピューターサイエンスという分野を知ったのが14歳の時でした!本屋で見つけて興味を持ったのがきっかけでした!そこから熱は冷めずに、将来はコンピューターの方向にいきたいとずっと前考えてました。その当時はまだメカトロニクスとかの方が日本では人気だったんですけど、ソフトの方が自分の求める部分だったので、コンピューターだなーって思っていました。コンピューターサイエンスに進学するって考えた時に、英語が理解できることはとてもアドバンテージになると思いました。英語のドキュメントなどの方が多いし、本も英語のほうが多かったので、英語ができた方が絶対いいと思い、海外行くしかないなと思いました。

考え方が合わなかったから

例えばですけど、ラリーペイジってアメリカのためにグーグルというサービスを作ったわけではないですよね?彼らは「世界のために」作ったはずです!でも、私が日本国内で見ていたのは、「日本のために」って言ってる人たちでした。私的には考え方が内向きすぎてとても気持ちが悪かったんです。何かするなら、世界中を意識してものづくりをしたいものです!

教育が合わないから

中学生のときくらいから日本の教育合ってないなあと感じていました。必要のないルールで縛って、自由があんまりない感じでした。まったく意味もわからないことで怒られたりして、あらゆることに懐疑的になっていきました。そして、革命的な技術進歩は周りとは違うことをしてきた人がいるからこそなのにも関わらず、「違い」を「変わっている」と言って否定的な見方をする日本社会では未来を感じられなかったんですよね。

満員電車に乗ってる大人を見て絶望した

結構みなさん普通に見ている光景かもしれないですけど、私的には電車に乗っている大人を見て、自分の未来の姿を見ているようで絶望したんです。こんな風には絶対になりたくない。。。あんな不幸せそうな疲れ切った姿で生きたくなかったんです。

まとめ

これらの理由がきっかけとなり国外に逃げたのですが、逃げて本当によかったなと今は思います。国外に行ってからとても考え方が変わりましたし、自分次第でどうにでもなるということがわかりました。世界を引っ張っていくような友人たちにも出会えましたし、本当に私の人生で一番大事な選択だったと思います。